もっと生きやすい社会をつくるには
今回は、私の考えを書いてみます。今は2026年2月8日。
今の日本社会の生きづらさや、違和感を感じることが度々あるので、今の考えをできるかぎり整理してみました。
私の主張
1.理念
” 文明へのアクセスは、本来すべての人に保証されるべきものだ。
教育、医療、インフラ、情報などの文明は、個人の能力や成果ではなく、人類が長い時間をかけて積み重ねてきた共有の蓄積である。
しかし現在の社会では、そのアクセスが労働と強く結びつきすぎている。
その結果、ひとは「人権を侵害されても労働を続ける」か、「労働をやめて文明へのアクセス権を放棄する」かという二択に追い込まれている。
これは能力の問題ではなく、社会が個人に過剰な負荷をかける設計の問題だ。
日本ではすでに、生まれてから義務教育を終えるまでは、生きているだけで教育や医療へのアクセスがほぼ保証されている。
問題は、この前提が労働年齢に入った瞬間に切断されることで、生きづらさが生まれている点にある。
私が求めている解決策は、文明へのアクセス権を労働ではなく、「人が生きている状態」に紐づけ直すことだ。
これは、大人が社会を支えなくてよいという話ではない。
支えられない時間があることを、社会が最初から想定する設計に変えるという提案である。
文明へのアクセス権を生きている状態に紐づけるという考え方は、憲法上の生存権を理念ではなく、実際に機能させるための設計だと思っている。 ”
2.設計
“ ここまで、「文明へのアクセス権を、労働ではなく生きている状態に紐づけ直したい」という理念について述べてきた。では、それを
現実の社会で考えると、何が必要になるのだろうか。
大切なのは、すべてを一気に完璧にすることではない。まずは「人が生きていくうえで、ここだけは途切れてはいけない。」という部分を
はっきりさせることだ。
まず、絶対に途切れてはいけないもの
仕事を辞めた瞬間や、心身が限界に近づいたとき、人は最初に困るのはとても単純なことだ。
・病院にいけるか
・安全に眠れる場所があるか
・食べるものがあるか
・どこに相談すればいいか分かるか
ここが途切れると人は一気に追いつめられる。だからこの部分は申請や条件をできるだけ減らし、生きている限り自動的に使える状態に
しておく必要がある。
これは特別な支援ではなく、社会が用意しておくべき「床」のようなものだ。
次に、生活を立て直すための支え
最低限の安全が確保できた後、人はようやく次のことを考えられる。
・住まいをどうするか
・医療費の負担をどう減らすか
・毎日の食事を安定させるか
ここでは、できるだけ手続き簡単にし、状況に応じて自動的に調整される仕組みが望ましい。
重要なのは、「困っていることを証明し続けさせない」ことだ。
そして、社会との関わり方を選べる余地
生活が少し落ち着いたら、人はそれぞれの形で社会と関わりたくなる。
・働く
・学びなおす
・誰かを支える
・まずは低い負荷で関わる
ここで大切なのは、参加は促すが、強制しないという姿勢だ。
強制すると、再び「続けるか、詰むか」という二択に戻ってしまう。
この考え方が目指しているもの
私が考えているのは、「働かなくてもいい社会」ではない。働けない時間があっても、文明から切り離されない社会だ。
文明へのアクセス権を、雇用状態ではなく、生きているという事実に結び付け直す。
その上で、人が冷静な状態で能力を発揮できる余地を、最初から用意しておく。
それが、生きづらさを減らすための一つの現実的な設計だと思っている。
このような設計をすれば、働かない、または働けないままに過ごす人は一定数必ず出てくる。
それは想定外の欠陥ではなく、設計上、あらかじめ含まれるものだと思っている。
なぜなら、文明へのアクセス権を労働ではなく生存に紐づける以上、「働かない」という選択肢も理論的には排除できないからだ。
ただし、これは働くことの意味を否定する話ではない。
生活の最低限が守られたうえで、社会に参加すれば選択肢が広がる。
関われば、できることが増える。
そうした自然な動機づけは残る。
重要なのは働かないことを罰する社会ではなく、働けない人を追い詰めない社会にすることだ。
「誰も働かなくなる社会」を恐れて、人を壊す設計を維持するよりも、一部の不参加を許容しながら、
全体の生きづらさを減らすほうが、社会としては健全だと考えている。
