もっと生きやすい社会をつくるには

――文明へのアクセスを、生存に結びつけるという考え方


今回は、私自身が以前から感じている、
日本社会の生きづらさについて考えてみたいと思います。

この考えを最初に文章にしたのは、
2026年2月8日でした。

なぜ、
人は仕事を失うことをこれほど恐れなければならないのか。

なぜ、
心や体が限界になっても、
簡単には仕事を辞められないのか。


「なぜ仕事を失うことを、これほど恐れなければならないのか?」

もちろん、
生活するためにはお金が必要です。

そして社会を維持するためには、
誰かが働かなければなりません。

それは分かります。

でも私は、

「働けなくなったら、
生きるための基盤まで一緒に失う」

という仕組みまで、
本当に必要なのだろうかと思います。

そして、もう一つ。

最低限、
生きることさえ保障されれば、

本当に人は、
嫌な環境から自由に離れられるのでしょうか。

今回は、

基本的人権とは何なのか。

生存権とは何なのか。

そこから考えながら、

「文明へのアクセスを、
労働ではなく、生きているという事実に結びつける」

という考えについて書いてみます。

1 文明とは誰が作ったものなのか

私たちは毎日、
さまざまなものを使っています。

道路。

水道。

電気。

病院。

学校。

インターネット。

法律。

行政制度。

これらは、
今生きている誰か一人が作ったものではありません。

何十年、
何百年、
あるいは何千年という時間の中で、

多くの人たちが知識や技術、
制度を積み重ねてきた結果として存在しています。

医学もそうです。

一人の医師が、
ゼロから医学を作ったわけではありません。

学校教育もそうです。

文字も数学も科学も、
何世代もの人間が積み上げてきたものです。

私は、
こうしたものをまとめて、

「文明の蓄積」

だと考えています。

つまり私たちは、

過去の人類が作ってきた巨大な遺産の中で
生活しているわけです。

2 文明へのアクセスと労働

ところが現代社会では、

その文明へのアクセスと、
自分の労働が非常に強く結びついています。

働いて収入がある間は、

家に住める。

食事ができる。

病院にも行ける。

電気も使える。

スマートフォンやインターネットも使える。

しかし、

仕事を失ったり、

病気や心身の不調で
働けなくなったりすると、

これらが次第に不安定になっていきます。

もちろん日本には、

生活保護、

雇用保険、

健康保険、

年金、

各種の福祉制度があります。

ですから、

仕事を辞めた瞬間に
何もかも失うわけではありません。

ただ、

制度を知らなければならない。

申請しなければならない。

条件を確認しなければならない。

自分がどれほど困っているのかを
説明しなければならない。

場合によっては、

何度も手続きをしなければならない。

そして皮肉なことに、

そうしたことが一番難しいのは、

本当に心や体が弱っている時です。

私はここに、

社会の設計としての問題があると思っています。

3 基本的人権とは何なのか

ここで、
基本的人権について考えてみます。

日本国憲法11条では、

国民は、
すべての基本的人権の享有を妨げられないこと、

そして基本的人権が、

侵すことのできない永久の権利として
保障されることが定められています。

また13条では、

すべて国民は、

個人として尊重される、

という考え方が示されています。

私は、

この「個人として尊重される」という言葉が
とても重要だと思っています。

会社員だから尊重される。

仕事ができるから尊重される。

たくさん税金を払っているから尊重される。

そういうことではありません。

仕事ができる人も、

できない人も、

病気の人も、

失業している人も、

まず一人の人間として尊重される。

それが、

基本的人権という考え方の
出発点なのではないでしょうか。

4 生存権とは何か

そして、

今回の話に最も関係するのが、

日本国憲法25条です。

25条には、

すべて国民は、

「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」

を持つと定められています。

これが、

いわゆる生存権です
「健康で文化的な最低限度の生活」】

さらに第2項では、

国は、

社会福祉、

社会保障、

公衆衛生について、

その向上と増進に努めなければならないとされています。

では、

「健康で文化的な最低限度の生活」

とは、

具体的に何なのでしょうか。

5 最低限の生活とは何なのか

ただ、

死ななければいいのでしょうか。

最低限のカロリーを取れて、

雨に濡れずに眠れれば、

それで生存権は満たされているのでしょうか。


「これだけで文化的な生活と言えるのか?」】

私は、

現代社会ではそれだけでは足りないと思います。

例えば、

病気になったとき、
病院に行ける。

安全に眠れる住居がある。

十分な食事ができる。

教育を受けられる。

社会の情報を得ることができる。

行政制度について調べられる。

必要な人に連絡できる。

電気や水道など、
基本的なインフラを利用できる。


「現代の最低限」】

現代では、

こうしたものがなくなると、

単に不便というだけではなく、

社会そのものから切り離されていきます。

そこで私は、

これらをまとめて、

「文明へのアクセス」

と考えています。

6 文明へのアクセスという考え方

ここは、

少し注意して読んでください。

「文明へのアクセス権」

という名前の権利が、

日本国憲法に書かれているわけではありません。

これは、

私自身が考えるために使っている言葉です。

ただ私は、

憲法25条にある、

「健康で文化的な最低限度の生活」

という言葉を、

今の社会で実際に機能させるには、

医療、

住居、

食料、

教育、

情報、

最低限のインフラ、

こうした文明へのアクセスが
必要なのではないかと思っています。

つまり、

生存権を現代社会の形に置き換えて考えると、

「文明への最低限のアクセスを保障する」

という考え方につながるのではないか。

それが、

今回の私の主張です。

7 子どもの社会には、すでに別の原則がある

ここで、

子どもについて考えてみます。

日本では、

義務教育段階の子どもに対して、

「自分で働いて生活費を稼ぎなさい」

とは求めていません。

むしろ労働基準法では、

原則として、

児童が満15歳になった後の最初の3月31日が終わるまで、

使用者が働かせることは禁止されています。

一定の例外はありますが、

基本的には、

義務教育の時期に
労働を生活の前提とはしていません。

そして憲法26条では、

教育を受ける権利と、

義務教育の無償が定められています。


「子どもに自分で生活費を稼げとは求めない」】

これは考えてみれば、

かなり重要なことです。

子どもは、

経済的な生産活動に参加しているかどうかに関係なく、

教育を受け、

医療を受け、

安全に成長することが

社会として前提にされています。

少なくとも、

「まず稼がなければ
教育を受ける資格がない」

という社会ではありません。

子どもには、

生活費を自分で稼げとは求めません。

なぜなら、

成長することや、
教育を受ける時間そのものに価値があると、
社会が認めているからです。

では大人は、

病気になった時も、

失業した時も、

家族の介護をしている時も、

学び直している時も、

生活の基盤まで、

労働と強く結びつけなければならないのでしょうか。

私は、

ここを一度考え直してもいいのではないかと思います。

8 では、なぜ大人になると変わるのか

ところが、

大人になると、

この考え方は大きく変わります。

働く。

給料を得る。

そのお金で、

住居、

食料、

医療、

通信、

その他の生活費を払う。

これが基本になります。

もちろん、

大人が社会を支えることは必要です。

私も、

大人は一切働かなくていい、

と言いたいわけではありません。

ただ、

ここで疑問があります。

働くことが難しくなった瞬間に、

なぜ、

生きるための基盤まで

一緒に危険にならなければならないのでしょうか。

9 人間には、支えられない時間がある

人はいつでも、

同じ能力で、

同じ体力で、

同じ精神状態で

働けるわけではありません。

病気になります。

けがをします。

心を壊すこともあります。

家族の介護が必要になることもあります。

会社が倒産することもあります。

仕事がどうしても合わないこともあります。

新しいことを学び直したい時期もあります。

人生を立て直すために、

一度休まなければならないこともあります。

つまり、

社会を十分に支えられない時間は、

特殊な人だけに起こる例外ではありません。

誰にでも起こりうるものです。

だったら、

社会制度の側も、

それを最初から想定して作ったほうがいい。

私はそう思います。

10 社会に最低限の「床」をつくる

そこで必要なのが、

社会の「床」

です。

何があっても、

ここより下には落ちないという床です。

例えば、

病院に行ける。

食べるものがある。

安全に眠れる場所がある。

電気や水道を使える。

最低限の通信手段を持てる。

必要な情報にアクセスできる。

困ったとき、

どこに相談すればいいか分かる。

私は、

まずここを、

可能な限り無条件に近い形で
保障するべきだと思います。

仕事を辞めたから。

収入がなくなったから。

病気になったから。

そうした理由で、

この床まで抜けてしまわないようにする。

11 これは特別な支援ではない

ここで大切なのは、

これを、

「かわいそうな人への特別な支援」

として考えないことです。

道路がある。

水道がある。

消防がある。

救急車がある。

学校がある。

私たちは、

こうしたものを社会のインフラだと考えています。

だったら、

最低限の食事、

住居、

医療、

情報へのアクセスも、

同じように、

社会を構成する基本設備として考えることは
できないでしょうか。

困ってから特別に救済するのではなく、

最初から床を抜けないように作っておく。

私は、

そのほうが合理的だと思います。

12 困っていることを証明し続けさせない

そして、

もう一つ重要なのが、

「困っていることを証明し続けさせない」

という考えです。

本当に困っている人ほど、

行政手続きをする能力が
落ちている可能性があります。

何枚もの書類を書く。

窓口へ行く。

必要書類をそろえる。

電話をする。

自分の状況を説明する。

これを何度も繰り返す。

健康な時ならできても、

心身が限界に近い状態では、

それだけでも大仕事です。

だから、

所得や生活状況など、

すでに行政が把握できる情報については、

可能な範囲で自動的に制度へ反映する。

必要な支援が、

できるだけ自然に増減する。

そんな設計のほうが

望ましいと思います。

13 生活が安定してから、次を考える

最低限の生活が安定して、

ようやく人は、

次のことを考えられます。

また働こう。

別の仕事を探そう。

勉強し直そう。

資格を取ろう。

家族を支えよう。

少しだけ社会と関わってみよう。

まず休もう。

人によって、

必要な時間も、

次の進み方も違います。

ここで私は、

社会参加を促すことと、

社会参加を強制することを、

分ける必要があると思っています。

強制ではなく、

再参加です。

いきなり元通りでなくてもいい。

休む。

学ぶ。

短時間だけ働く。

そして、

また働けるようになったら戻る。

そういう段階があってもいいと思います。

14 生存を人質にしない

今の社会では、

ある意味で、

生活そのものが

労働への強い動機になっています。

働かなければ、

家賃が払えない。

食べられない。

生活できない。

だから働く。

もちろん、

それは非常に強い動機です。

でも、

私はそこまで強い恐怖を、

働くための動機として

社会が利用する必要はないと思っています。

つまり、

「働かないと、
生きることそのものが危うくなる」

という状態です。

私は、

生存を人質にして

労働を促すような社会ではなく、

最低限の生存は守ったうえで、

働けば生活の選択肢が広がる、

という形にしたほうがいいと思います。

15 生きられるだけでは、足りない

ただ、

ここでもう一つ、

大きな問題があります。

最低限の食事や住居、

医療が保障されたとしても、

それだけで人は、

本当に嫌な職場から離れられるのでしょうか。

例えば、

住宅ローンがある。

今の家を失いたくない。

子どもの生活を変えたくない。

今まで築いてきた生活を、

一気に手放したくない。

そう思えば、

最低限の生活が保障されていても、

「仕事を辞めたら、
今の生活は維持できない」

という恐怖は残ります。

すると、

仕事を辞められない。

理不尽な扱いにも耐える。

パワハラにも耐える。

そして、

人が辞めないから、

悪い職場も変わりにくい。

そんなことも起こります。

ここで私は、

社会が保障すべきなのは、

単に、

「死なないための最低限」

だけでは足りないと思います。

必要なのは、

不当な環境から離れても、
すぐに人生全体が崩れないことです。

仕事を辞めたら、

その瞬間に、

家も、

生活も、

将来も、

全部失う。

そんな状態では、

人は本当の意味で

職場を選ぶことができません。

もちろん、

今の生活水準や、

すべての資産を、

社会が永久に保障することはできません。

そこまで保障すれば、

公平性の問題も出てきます。

でも、

病気や失業、

あるいは職場から離れる必要がある時に、

一定期間、

急激に生活が崩れない仕組みは、

あってもいいのではないでしょうか。

休む。

転職する。

学び直す。

生活を立て直す。

そのための時間を持てる。

つまり必要なのは、

「辞めても生きられる」だけではありません。

「辞めても立て直せる」ことです。

不当な環境から離れても、

人生が崩れない。

そこまであって、

初めて人は、

無理な環境から離れることができます。

16 退出できることが、社会を変える

そして私は、

これは個人だけの問題ではないと思います。

もし、

人が本当に職場を辞められるなら、

人を壊すような会社からは、

人が離れていきます。

人が離れていけば、

会社の側も、

働き方を変えざるを得なくなります。

逆に、

辞めたら生活が崩れるから、

どれだけつらくても耐えるしかない。

そんな状態なら、

悪い職場にも人が残り続けます。

つまり、

不当な環境から

安心して離れられることは、

個人を守るだけではありません。

社会や職場を、

少しずつ変える力にもなります。

私は、

生存を保障することと、
自由に退出できることを、
セットで考える必要がある

と思っています。

17 最低限を保障したら、誰も働かなくなるのか

では、

最低限の生活を保障し、

さらに一定期間、

生活を立て直す余裕まで持てるようにしたら、

誰も働かなくなるのでしょうか。

これは、

当然出てくる疑問です。

私は、

働かない人は一定数出ると思います。

それは、

最初から制度設計に含めて考えるべきです。

文明への最低限のアクセスを、

生きているという事実に結びつけるなら、

「働かない人は一人も認めない」

という制度にはできません。

でも、

人が働く理由は、

飢えないためだけではありません。

もっと良い家に住みたい。

好きなものを買いたい。

旅行したい。

趣味を楽しみたい。

誰かの役に立ちたい。

社会の中で役割を持ちたい。

何かを作りたい。

能力を試したい。

働くことには、

たくさんの動機があります。

だから、

「最低限の生活を保障する」ことと、
「働く意味をなくす」ことは、
同じではありません。

18 働くことと、生きる資格を分ける

憲法27条では、

勤労の権利と、

勤労の義務が定められています。

社会を支えるために、

働くことが重要なのは間違いありません。

でも私は、

勤労の義務があることと、

働けない人の生活基盤まで

失わせてよいということは、

別の話だと思っています。

私は、

働くことと、

生きる資格を、

もう少し切り離したい。

働くことで、

生活は豊かになる。

選択肢が増える。

好きなことができる。

社会との関わりも広がる。

でも、

働けないからといって、

人間として最低限の生活まで

失わなくていい。

そういう社会です。

最初に人間がいる。

その次に労働がある。

働けるかどうかで、
人の価値は決まらない。

19 基本的人権を、本当に使えるものにする

基本的人権は、

憲法の文章の中に書いてあるだけでは、

生活を守ってくれません。

制度として、

実際に使える形になって、

初めて意味を持ちます。

病院に行ける。

住む場所がある。

食事ができる。

情報を得られる。

誰かに相談できる。

そして、

一度人生につまずいても、

再び社会へ戻る道が残されている。

さらに、

不当な環境から離れても、

すぐに人生が崩壊しない。

私は、

こうした状態を作ることが、

生存権を理念だけで終わらせず、

実際の生活の中で機能させるということなのではないかと

考えています。

20 文明へのアクセスを、生存に結びつける

私が求めているのは、

「働かなくてもいい社会」

ではありません。

「働けない時間があっても、
文明から切り離されない社会」

です。

そして、

「不当な環境から離れても、
人生がすぐには崩れない社会」

です。

文明への最低限のアクセスを、

雇用状態ではなく、

生きているという事実に結びつける。

病気でも。

失業していても。

人生を立て直している途中でも。

少なくとも、

食べられる。

眠れる。

治療を受けられる。

情報を得られる。

社会と完全には切れない。

そして、

必要なら、

一度職場を離れることもできる。

ここまでを、

社会の側で支える。

私は、

そこまで考えて初めて、

本当に生きやすい社会に近づくと思っています。

21 当然、問題もある

もちろん、

これは理念を語るだけでは完成しません。

実際に制度を作ろうとすれば、

大きな問題がいくつもあります。

財源をどうするのか。

どこまでを、

「最低限」とするのか。

住宅はどこまで保障するのか。

住宅ローンはどうするのか。

医療はどこまで無償にするのか。

通信はどうするのか。

どのくらいの期間、

今の生活を支えるのか。

制度を悪用する人には、

どう対応するのか。

働いている人との公平感を、

どう保つのか。

労働力が不足した場合は、

どうするのか。

こうした問題は、

一つずつ検討する必要があります。

私は、

「この理念さえあれば全部解決する」

とは思っていません。

22 それでも、出発点を変えたい

ただ私は、

制度を考える出発点そのものを、

少し変えてみたいと思っています。

今までは、

働くことを基本にして、

働けなくなった人を、

後から支援する。

という発想が強かった。

それを、

まず人間には、

最低限の文明へのアクセスがある。

さらに、

人生を立て直すための余裕がある。

その上に、

労働、

収入、

消費、

豊かさ、

自己実現が積み上がっていく。

そんな構造として考えてみる。

つまり、

最初に人間がいる。

その次に労働がある。

労働したから、

初めて人間として生活できるのではない。

この順番です。

おわりに

文明は、

今生きている私たちだけが

作ったものではありません。

何世代もの人間が、

知識を残し、

技術を作り、

制度を整え、

少しずつ積み重ねてきたものです。

だから私は、

その文明への最低限のアクセスまで、

その瞬間の労働能力だけで

決めなくてもいいと思っています。

人は、

ずっと強くはいられません。

働けない時もあります。

立ち止まる時もあります。

失敗する時もあります。

そして、

時には、

今いる場所から

離れなければならない時もあります。

それでも、

病院に行ける。

食べられる。

眠れる。

情報を得られる。

そして、

もう一度やり直すことができる。

そういう最低限の床を、

社会が持っている。

さらに、

嫌な環境から離れても、

すぐに人生が崩れない。

少し休み、

少し考え、

また別の道を選ぶことができる。

その上で、

働く。

学ぶ。

休む。

誰かを支える。

何かを作る。

そしてまた、

社会に関わっていく。

私は、

そんな社会のほうが、

今より少し、

生きやすい社会になるのではないかと思っています。

働けない時間があっても、
文明から切り離されない。

不当な環境から離れても、
人生が壊れない。

それが、

私が考える、

もっと生きやすい社会の一つの形です。

皆さんは、

「健康で文化的な最低限度の生活」

とは、

どこまでを指すと思いますか。

そして、

人が嫌な環境から離れるために、

社会はどこまで支えるべきだと思いますか。

ぜひ、

考えてみてください。

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