ニーチェの永劫回帰を考え直す|自分を誇れる選択をしたい
① 前回からの続き
前回、私はニーチェの永劫回帰について考察しました。
自分の人生が、寸分違わず、永遠に繰り返される。
そして、その人生を、苦しみも含めて積極的に肯定できるか。
私はこの思想に、少し危うさを感じました。
特に、運命のすべてを愛するという考え方です。
人間には、自分の意思ではどうすることもできない不幸があります。
そうした出来事まで、愛する必要があるのだろうか。
私は、そこまで求めなくてもよいのではないか、と考えました。
しかし、その後も永劫回帰について考えているうちに、少し意外な経験をしました。

② 永劫回帰が与えた勇気
永劫回帰という思想が、実際に私の気持ちを変えたのです。
例えば、私は電話に出ることがあまり得意ではありません。
できれば避けたいと思うこともあります。
ところが、永劫回帰を思い浮かべると、不思議と勇気が湧いてくることがありました。
もし、この人生を何度でも繰り返すとしたら。
私は、この場面で、どんな選択をしたいだろうか。
電話を避ける自分と、少し勇気を出して電話に出る自分。
どちらの自分でありたいだろうか。
そう考えると、よし、出てみよう、という気持ちになるのです。
もちろん、電話に出たからといって、うまく話せるとは限りません。
失敗するかもしれません。
それでも、苦手なことに向き合った自分を、少し誇らしく思えるかもしれない。
私は、そう感じたのです。

③ 自分で自分を誇らしく思いたい
なぜ、この考え方で勇気が湧いてくるのでしょうか。
考えてみると、私は単に電話に出られるようになりたかったわけではありません。
誰かに褒められたいわけでもありません。
自分自身が、自分の選択に納得したかったのです。
自分で自分を誇らしく思いたかった。
ここで私は、永劫回帰の面白さに気づきました。
永劫回帰は、やりたいことを先延ばしにしないためだけの思想ではありません。
できれば避けたい困難にも、自分から向き合ってみようという気持ちを生み出すことがあるのです。
困難が好きになるわけではありません。
不安がなくなるわけでもありません。
それでも、その場面で自分が誇れる選択をしたい。
そう思うことで、少し勇気が湧いてくるのです。

④ しかし、運命が決まっているなら?
一方で、永劫回帰を文字どおりに考えると、別の疑問も生まれます。
もし人生が本当に永遠に繰り返されるなら、今の選択も、以前とまったく同じはずです。
私が勇気を出して電話に出ることも、以前の人生で経験していたことになります。
では、何を悩む必要があるのでしょうか。
考えようが考えまいが、結局同じことをするのではないか。
もっとも、厳密には、考えることも悩むことも、同じように繰り返されることになります。
考えること自体が、選択を生み出す原因の一部なのです。
しかし、そこまで考えると、自分の意思で選択するとはどういうことなのか、分からなくなってきます。
だから私は、永劫回帰を、宇宙が実際に繰り返されるという法則としてではなく、人生の捉え方を考えるための思考実験として受け止めるほうが、しっくりきます。
もちろん、ニーチェ自身が宇宙の反復を真剣に検討していた可能性もあり、この点は研究者の間でも議論されています。

⑤ 運命を愛することへの疑問は残る
ただし、今回、永劫回帰によって勇気を得たからといって、私の疑問がすべて解消したわけではありません。
ニーチェは、運命をただ受け入れるだけではなく、積極的に愛するという理想を掲げました。
しかし、人生には、自分の意思では避けられない不幸もあります。
そうした出来事まで、積極的に愛する必要があるのでしょうか。
私は、今でもそこには納得できない部分があります。
人生を肯定することと、人生で起きたすべての出来事を肯定することは、別だと思うからです。
あの経験は嫌だった。
できれば、二度と経験したくない。
そう思いながら、それでもこれからの人生を大切にすることはできるはずです。
人生を愛するために、人生のすべてを愛する必要はない。
この考えは、今も変わっていません。

⑥ 思想を信じることと、思想から学ぶこと
そして、私はもう一つ、少し怖さも感じています。
ニーチェ自身が、44歳で精神的な崩壊を経験したという事実です。
もちろん、その原因が永劫回帰や運命愛という思想だったと証明されているわけではありません。
それでも、思想に強く心酔することには、慎重でありたいと思います。
自分に勇気を与える思想であっても、いつしか自分を縛るものになってしまうかもしれない。
常に勇敢でなければならない。
いつも最善の選択をしなければならない。
苦しみさえも愛さなければならない。
そんなふうに考えるようになれば、かえって疲れてしまうでしょう。
実際、私も永劫回帰を思い浮かべて勇気が湧く日もあれば、今日はいいや、と思う日もあります。
それでよいのだと思います。
思想は、自分を苦しめるためにあるわけではないのですから。

⑦ 結論――自分が誇れる選択
今回、私はニーチェの永劫回帰を、少し見直すことになりました。
最初は、運命のすべてを肯定しようとする、危うい思想ではないかと考えていました。
しかし実際には、自分が誇れる選択をしようという勇気が湧いてきたのです。
それは、私にとって少し意外な経験でした。
だからといって、ニーチェの思想をすべて受け入れようとは思いません。
納得できる部分もあれば、疑問が残る部分もあります。
私は、その両方を大切にしたいと思います。
もし、この人生を何度でも繰り返すとしたら。
今、自分はどんな選択をしたいだろうか。
その問いを、ときどき思い出してみる。
そして、少しでも自分が誇れる選択をしてみる。
必ず成功する必要はありません。
いつも勇敢である必要もありません。
ときには休むことを選んでもよいでしょう。
運命のすべてを愛することはできなくても、自分が選んだ行動を誇りに思うことはできる。
私は、永劫回帰をそんなふうに受け止めていきたいと思います。
今回の考察は、ここまでです。 ご視聴ありがとうございました。


